これは、胡弓です。

……そう言われても、少し驚くかもしれません。
胴になっているのは、ピーナツ油の空き缶。
弦になっているのは、釣り糸です。

楽器らしくない材料ですね。
けれど、ちゃんと音が鳴ります。

この胡弓が作られたのは、ブラジルです。
1908年、日本人のブラジル移民が始まりました。

よりよい暮らしを求め、あるいは貧しさから抜け出すため、多くの人々が海を渡りました。
その中で、天理教の教えもまた海を渡ります。

ブラジルでは戦前から布教が始まり、戦後も日系移民たちのあいだで信仰が受け継がれていきました。

天理教の祭典には、「鳴物」と呼ばれる楽器が欠かせません。
太鼓、笛、胡弓。歌い、奏で、手を動かす。
音と動きがひとつになって、祈りになります。

けれどブラジルでは、日本のように簡単に楽器を修理したり、買い替えたりできませんでした。
だから人々は考えます。
本番で使う大切な楽器は、なるべく傷めないようにしまっておく。
日々の練習には、自分たちで作った楽器を使おう——と。

そうして生まれたのが、この胡弓です。

空き缶。釣り糸。身の回りにあるものだけで作られた楽器。
けれど、ここにあるのは、間に合わせの道具ではありません。
どうすれば、少しでも本物に近い音が出せるか。
どうすれば、毎日の稽古を続けられるか。
そんな工夫と情熱が、この楽器には詰まっています。

実際、この胡弓を作った人は、とても手先が器用で、教会のバザーに出せるほどの完成度だったといいます。

思い出してください。
この館の創設者、中山正善は言いました。

「きれいなものを集めるな。手垢にまみれたものを集めろ」

まさに、この胡弓です。

新品の楽器では見えないものが、ここにはあります。
毎日、何度も手に取った跡。音を確かめた時間。祈りを重ねた歳月。

祈りとは、立派な道具があって初めてできるものではありません。
どこにいても、何を手にしていても、祈る心は失われない。

空き缶と釣り糸でさえ、人は祈りの音を鳴らせるのです。

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