目の前に描かれているのは、東海道最大の難所といわれた大井川です。
今なら橋を渡れば、10分ほど。
けれど江戸時代、この川には橋がありませんでした。
船で渡ることも、できませんでした。
当時の技術では橋を架けることが難しく、もし敵が攻めてきたときには、この川そのものが天然の守りにもなったからです。
では、人々はどうやって渡ったのでしょう。
旅人はまず、「川越札」と呼ばれる札を買いました。
いわば、大井川を越えるための切符です。
その札を渡し、屈強な男たちに担がれて川を渡りました。
絵の中を見てください。
何人もの男たちが、流れの中を進んでいます。
担がれる旅人は、ただ身を委ねるしかありません。
けれど、その日、川を渡れているということ自体が、幸運でした。
ひとたび大雨が降れば川は増水し、渡ることはできなくなります。
旅はそこで止まり、ときには何日も待たなければなりませんでした。
一日で済むか。三日か。十日か。
そのあいだに、お金が尽きる人もいた。
急ぎの用事に間に合わない人もいた。
旅人たちは、何度も空を見上げたことでしょう。
どうか雨が降りませんように。
どうか無事に渡れますように。
東海道名所図会にも、大井川を渡る人々の姿が描かれています。
大名も、商人も、巡礼者も、この川の前では皆、立ち止まるしかありませんでした。
自然の前では、誰もが同じ。
だからこそ、人は祈ります。
「越すに越されぬ」とうたわれた大井川。
人は、ときに川だけではなく、自分の力では越えられないものにも出会います。
そんなとき、空を見上げることだけは、昔も今も変わらないのかもしれません。