姫路城の天守を、見上げたことがあるでしょうか。
あの白い天守は、650年を超える歴史の上に立っています。
はじまりは南北朝時代。ある武将が、姫山と呼ばれる小高い丘に砦を築いたのが最初と伝わっています。その子がのちに本格的な城として整備し、以来、幾つもの一族が、代々この地を治めてきました。
そして戦国時代、この城の主となったのが黒田官兵衛です。実は官兵衛自身、この姫路城で生まれたと伝えられています。父の跡を継いで城主となった官兵衛は、やがて中国地方の攻略を託された羽柴秀吉と出会うことになります。播磨を平定した秀吉が新たな居城を探していたとき、官兵衛は自らの姫路城を差し出しました。秀吉はここに三重の天守を築き、西国へ向かう要の拠点としていきます。

けれど、いま私たちが見ている白く輝く姫路城の姿は、秀吉のものではありません。
戦国時代が終わったのち、新たにこの地に入った池田家が、長い歳月をかけて城を大改修しました。壁だけでなく、瓦のつなぎ目にまで白い漆喰を塗り込めたことで、まるで白鷺が羽を広げたような姿になった。これが「白鷺城」という愛称の由来です。大天守を中心に3つの小天守が渡り廊下で結ばれる連立式天守、地下1階地上6階建ての内部構造──いま目にしているものの多くは、この時代に完成しました。

少し、時間を戻しましょう。姫路城を手にした秀吉は、天下を統一したのち、視線を海の向こうへと移します。そして、小豆島を自分の直轄領に指定したのです。そこには、はっきりとした狙いがありました。
瀬戸内海は、当時の高速道路のような存在でした。人も物も、この海を通って西へ東へと行き交っていたのです。小豆島は、大坂から西へ向かう、その海の道を押さえる要衝でした。姫路城という西国ににらみを利かせる拠点を手にした男は、同じ目で、瀬戸内海に浮かぶこの島を見ていたのです。
城と島。一見なんの関係もなさそうなふたつの場所は、実は同じ人物の同じ発想によって、最初に結ばれていました。


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