もし、あなたが巨大な城をつくることになったら。石垣に使う石を、どこから運びますか。

必要なのは、人の背丈を超えるような巨石です。山の奥で見つけたとしても、そこから何十キロも陸の上を運ばなければならないとしたら、それだけで大仕事です。では、その山が海のすぐそばにあったら、どうでしょう。

山から石を下ろす。浜まで運ぶ。船に積む。そこから先は、海そのものが道になります。

備讃諸島が、大坂城の石を供給する場所のひとつになった理由。そのひとつは、「石の山が、海に浮かんでいた」ことでした。瀬戸内海の周辺には、花崗岩が広く分布しています。小豆島。本島。北木島。海に浮かぶ島々そのものが、巨大な石材の産地でした。

本島の高無坊山にも、その痕跡が残っています。山肌に残された矢穴。石に刻まれた刻印。江戸時代、徳川幕府が大坂城を築き直した際には、細川家がこの場所で採石を行い、切り出した石を大坂へ送り出しました。

ただし、海に出れば簡単だったわけでもありません。瀬戸内海は、一見すると穏やかです。けれど、島と島のあいだでは潮が複雑に流れ、その向きは時間とともに変わります。そこで重要になったのが、この海を知る人たちでした。

塩飽諸島には、古くから海上交通に携わってきた船乗りたちがいました。潮を読む。風を読む。島々の間を抜ける。そうした航海の技術を持つ人々が、この海に暮らしていたのです。

つまり、備讃諸島には三つの条件がそろっていました。石がある。すぐそばに海がある。そして、その海を渡る人がいる。

その三つが重なったことで、島で切り出された巨大な石は、海を越え、遠く大坂まで運ばれていったのです。石は、自分では動きません。それでも人間は、山と海をつなぎ、石のための道をつくりました。

その道は、島で終わりません。海の向こうへ続いています。

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