大地の芸術祭を旅するなら、まずは「キナーレ」を目指すべきだ。
十日町駅から歩いてアクセスできるから。あらゆる旅の情報がそろうから。世界的建築家である原広司による作品だから。それだけじゃない。
2012年にキナーレは現代美術館に生まれ変わった。その常設展にあるアート作品群は、大地の芸術祭の縮図であり、その舞台となる越後妻有の縮図であるからだ。
旅には地図が必要であるように、この縮図もまた重要な意味をもつ。
まずはキナーレに常設されたアート作品を見ながら歩いてみよう。
信濃川、ブナ林、縄文土器、棚田、トンネル、豪雪、地震、着物……
すると、越後妻有という土地を理解するためのキーワードとともに、大地の芸術祭の全体概要をつかむことができる。このチュートリアルを得ることによって、これからはじまる旅の体験をふくらませることができるのだ。
さて、大地の芸術祭とは何か? 越後妻有とはどんな土地なのか?
続きは、キナーレを歩きながらガイドすることにしよう。
そして、アートはあなたに問いかける。
「十日町」は、昔ながらの市場であり交流の場所。その名の通り、毎月10がつく日(10日、20日、30日)に定期市が開かれていた町であり、越後妻有で随一の繁華街でもある。この十日町に現代の市場となる交流館をつくりたい。そんな依頼が建築家「原広司」のもとにやってきた。
そのとき、建築家の頭にあったのは、家というのは壁であり猥雑な世の中に対する最後の砦なのではないか、という思いだった。しかし、それは武装のための砦ではないという。
砂漠のオアシスのような安息の地としての砦。いろいろな人たちが通りすがりにテントを張り、ゾウやライオンも含めて、その瞬間ばかりは戦いをやめて水を飲んで身体を休める。そんな都会のオアシス――つまり、猥雑な街から離れて人々の拠り所となるオアシスを目指したのではないか。
この建物の中央にある池や、それを取り囲む回廊やコンクリートの壁を見て、あなたは何を思うだろうか。
そして、この空間を使ったアートは、大地の芸術祭の目玉にもなっている。
2012年はクリスチャン・ボルタンスキーの「No Man's Land」
2015年は蔡國強の「蓬莱山」
いずれも、ケタはずれの規模である。次回はどんな作品が生まれるのか。あなたもアーティストになった気持ちで想像してみてほしい。