はじまりは、猿沢池。この池には「采女(うねめ)」という、天皇に仕えた女性の物語が残されている。池のまわりを一周しながら、采女にまつわる伝説を拾い集めてみてほしい。

──それは、こんな物語。はじめは天皇の寵愛を一身に受けていた采女だが、やがて天皇の関心は別の女性に移り、いつしか相手にされなくなってしまった。それを嘆いた采女は、天皇にもう一度だけ、振り向いてほしかったのかもしれない。「衣掛柳」に自分の衣をかけて、池に身を投げて死んでしまったのだ。

そんな采女のことをかわいそうに思った人たちが、池のほとりに祠(ほこら)を建てた。「采女神社」である。しかし、神社にしては珍しく、鳥居を背にした“後ろ向きの祠”になっている。これは、采女が「自分が死んだ場所である猿沢池を見るのは辛いから」と、一夜のうちに背を向けたと言い伝えられている。

物語はこれで終わりではない。采女の出身地である福島県には、もうひとつの伝説が残されている。実は、采女は田んぼが凶作の年に、年貢のかわりに奈良に寄越されてきた女性だというのだ。

それも地元に恋人がいたところを、泣く泣く引き裂かれてきたという。采女はどうしても昔の恋人に会いたかった。だから、入水自殺をした“ふり”をしたのである。そうして、生きて地元に帰り着いた采女はそこで泣き崩れることになる。

采女が愛した男は、采女が奈良へと送られた直後に自殺していたのだ。取り返しのつかないことになってしまった。それを悔やんだ采女は、恋人の後を追うようにして亡くなったのだった。
どちらにしても悲劇。しかし、信じるならば、どちらを信じたいと思うだろうか。

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