成田山新勝寺と歌舞伎役者「市川団十郎」の関係は切っても切り離せない。詳しくはコラムで紹介した通りだが、七代目の団十郎は、その豪快な暮らしぶりのあまり、当時の法律であった「ぜいたく禁止令」で処罰されたことがある。その結果、罪人として江戸から追放されたのだ。

このとき、団十郎は成田で匿われることになった。その際の家がこの場所にあった「延命院」であった。地域の子どもたちに歌舞伎を教えたりしながら、日々を過ごしていた団十郎だが、やはり役者としての血が騒いだのだろう。成田で一年ほど暮らしたあとは、地方公演のため関西へ出かけていったという。

追放から8年。再び江戸に戻った団十郎はさらなる飛躍を遂げた。それが、今日の市川家の栄光に続いている。あちこちで見かける「三枡(みます)」と呼ばれる四角いマークは、現在も使われている市川家の家紋である。

Next Contents

Select language