江戸時代になり、現在の東京である江戸の町からたくさんの人が訪れるようになった新勝寺。当時は、片道60kmを超える道のりを歩いて来るしかなかった。そこで、宿屋が必要になった。多くの人は日が暮れるまでに成田に到着して、この表参道にある旅館に泊まり、朝一番で新勝寺に向かったことだろう。
しかし、明治時代になり、東京からの鉄道がつながると、状況は一変する。そもそも、お正月にお参りすることを「初詣」というが、この習慣が広がったのも鉄道が発展したことが理由である。鉄道がない時代は、自宅や近所のお寺で済ませていたところを、遠くにある有名なお寺まで気軽に足を運べるようになったわけだ。
その一方、新勝寺まで日帰りで来られるようになったことで、宿屋の需要は減っていった。そこで、多くの旅館は食事処や土産物屋に鞍替えして商いを続けた。この「大野屋旅館」や、お隣の「梅屋旅館」など、旅館の面影を残す大きな建物が並んでいるのはそのためだ。
大野屋旅館の創業は江戸時代。現在の建物が建てられたのは1935年だが、屋上にある展望台(望楼)に日本らしさが感じられる。噂によると、ある一定の食事をすると展望台に上がらせてもらえることもあるという。