新勝寺の本尊となる「不動明王像」は、関東での戦乱が鎮まることを願って、京都から船で持ち込まれた。そして、まず最初に成田市並木町の「不動塚」がある地点に安置され、お祈りがおこなわれた。その甲斐あって戦乱は鎮まり、新勝寺と名付けられることになった。そこから、江戸時代にいたるまでにもドラマはあった。その物語を紹介しよう。

室町時代になると、たびたび戦乱が続き、人々は日々の生活だけで精一杯。お寺にお参りする余裕もなく、不動明王像を安置した建物も廃れていく一方であった。大切な「お不動さま」だけでも守らなければ。そう考えた村の人たちは不動明王像を別の場所に移すことにした。

ある日、村の有力者が集まった会合でくじ引きが行われた。その結果、別の村の有力者が不動明王像を引き取ることに決まった。しかし、その人が不動明王像を持ち上げようとしても、びくとも動かない。次に成田村の「諸岡三郎左衛門」が持ち上げてみると、簡単に動かすことができた。結果、「お不動さまは成田の地に居たいのだろう」という結論になり、成田村にとどまることになったのだった。この諸岡三郎左衛門こそが「米屋」の創業者の祖先にあたる人物である。

その後、諸岡家の邸宅があったこの場所に置かれることになった不動明王像。諸岡家は御堂を建てて、成田村の人たちが大切にしていた井戸から毎朝、きれいな水を汲んでお供えをした。その習慣は、現在の場所に移したあとも続けられたという。

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