清水寺から、観光客で賑わう坂道をずーっと下まで降りてくと、大通りのバス停に辿り着く。しかし、この道はここで終わりではない。ゆるやかな坂道は横断歩道を渡った先にも続き、鴨川を越えて、京都の中心部まで歩いていくことができる。この道は古くからたくさんの人がお参りのために行き来した道で、どうか振り返ってみてほしい。くねくねと曲がりくねったその道は、いかにも人がぞろぞろと歩き続けた結果、生まれたような道だと思わないだろうか。

あなたには、この坂道を鴨川まで歩いてほしいと思う。途中ではさまざまな路地や花街など、市街地とは異なる光景を目の当たりにするだろう。そして、およそ30分後に自分の足で鴨川を越えたとき。なぜこの場所に路地や花街が残されているのか。その理由が分かるはずだ。

ヒントを出そう。その昔、市街地としての京都は、この坂道を下りきったところに流れる「鴨川の向こう側」にあった。市街地である洛中に対して、この地域は「洛外」と呼ばれ、京都の外側に広がる野原だったのだ。それも、この先は広大な「葬送地(死体置き場)」になっていて「あの世とこの世の分かれ道」と囁かれていた。そして、さまざまな理由で都には住むことができなかった「坂の者」と呼ばれる人たちが住んでいた。

坂の者。それは、平地ではなく坂道で暮らさざるを得なかった者たち。清水寺をお参りする人にお金を恵んでもらっていた人をはじめ、アウトサイダーたちの生活の場でもあったのだ。それに、坂の者は「境の者」でもある。京都は鴨川を境にして平野と山に分かれている。その高低差もまた洛中と洛外の格差を印象づけることになっていた。

この道には、そんな過去の歴史が埋まっている。洛中とは違う雰囲気を味わいつつ、裏道を歩いていこう。

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