京都においては、細い道の中でも行き止まりがある道を路地。それも「ろーじ」と発音する。ここから先は通り抜けができないので、あらためて「やくし路地」という名前がつけられている。

この路地の歴史を遡ってみると、古くは「薬師辻子」と呼ばれ、「歌比丘尼」が住んでいたと伝えられている。歌比丘尼とは、歌を歌いながら地獄絵図などの絵解きをしていた尼さんである。地獄絵図とは、あの世の世界を一枚の絵にしたもの。その絵にどんな意味が込められているのか、絵を解説するのが彼女たちの仕事であった。しかし、歌比丘尼は尼さんという仕事ともうひとつ、裏の仕事を持っていた。「遊女」である。

絵解きだけでは食べていけなくなったのだろう。芸能化が進んでサービスが過剰になり、遊女も兼ねるようになった歌比丘尼。聖と俗が入り混じるこの場所には、地方からの参拝者や流れ者も多く、信仰を広めるにも、色で生計を立てるにも、都合がよかったのかもしれない。そして、こうも言える。決して身分が高いとはいえない彼女たちが薬師辻子という居場所を見つけたように、かつての路地は表通りに住むことが許されなかった人たちのセーフティネットになっていたのだ、と。

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