広場になっているこの場所は、大学と地域がコラボして生まれた路地裏のアートスペース。路地といえば暗くて、狭くて、怖い場所。そんなイメージを覆す空間として、人々が集まれる場所を作ったのだ。しかし、数年前の写真と目の前の光景を比べてみてほしい。現在は忘れられた場所になりつつある。路地裏は変わらないように見えて変わり続けているのだ。

ところで、「弓矢薬師小路」という銘板があったように、ここは「弓矢町」と「薬師町」が接する地域である。弓矢を作っていた町だから弓矢町であるわけだが、住んでいたのは「犬神人(いぬじにん)」と呼ばれる人たち。彼らは身分こそ低かったものの、貧乏かといえばそうではなく、弓矢を作ることでかなりの収入を得ていたという。それゆえか、弓矢町という町は近隣の町に比べて3倍ほどの広さをもっている。「弓矢町」の看板を探しながら歩けば、その繁栄ぶりを実感するはずだ。

それだけではない。犬神人は弓矢作りのほかに、八坂神社の神職も務めていた。その仕事内容は、神社の清掃や警護にとどまらない。ハンセン病の人たちの集落の管理や、死者を処理する「葬送」の役割も担っていた。

そんな犬神人が、京の都を代表する「祇園祭」において、神輿を運ぶ大行列の栄えある「最前列」を歩いていた、と聞くと驚きはしないだろうか。日常のなかで生と死のそばに寄りそい、不浄を清めてケガレをはらう彼らに、神様の通る道を清める役割が任されていたのだ。

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