京都のいたるところで見かけるお地蔵様だが、路地の中で遭遇することも多いはずだ。お地蔵様は民衆を苦しみから救ってくれるといわれる仏像で、京都では町のコミュニティの中心的存在である。しかし、かつてお地蔵様は町と町の境目に置かれることが多く、人目のつきやすい大通りにあるのが一般的だった。
現在のような光景ができていったのには、こんな背景がある。明治時代になると日本は西洋化に舵をきる。その結果、京都府の御触れにより、大通りにあったお地蔵様は小学校やお寺への引っ越しを命じられた。文明国をめざすにあたり、日本ならではの古くさい風習と考えられたのだろう。
しかし、町の人にとっては長年に渡って、お花をお供えしたり、前掛けを付けたりしてきた愛着のある存在である。そこで、「撤収されるぐらいなら」と、京都の人たちは個人の敷地や路地裏に隠したのだ。
現在でも、お地蔵さんを囲んで「地蔵盆」という行事がおこなわれている。同じ町に住む人、同じ路地に住む人たちが集まり、念仏を唱えて子どもたちの成長を祈るのだ。そうでなくても日々の掃除やお供えは当番制でおこなわれ、町の人たちをつなぐ大切な存在であり続けている。