軒続きの長屋、お地蔵さま、井戸、そして銭湯の煙突。あじき路地は、美しい風景を残すお手本のような路地である。それでいて新しい。帽子屋、雑貨屋、パン屋など、ひとつひとつの家が小さなお店を開いているからだ。

「路地は京都の文化遺産」といわれ、今でこそ、路地裏にオープンするカフェなども増えた。しかし、ほんの少し前まで路地でお店を開くなんて考えられないことだった。その先駆けとなったのが「あじき路地」。大家である安食さんが、若き作家を集めてシェアハウスのような路地を形成したのだ。大家さんがお母さんで、商店は子どもたち。ひとつ屋根の下で暮らす家族のようなコミュニティだという。

安食さんとは、どのような人物なのだろうか。若いころは自身も彫金作家であったという安食さんは、子育てを機に作家活動を休止。70代にして再び作品展を開いた。しかし、彫金は繊細な作業の連続。指先の加減が少しでもずれてしまうと、やり直しになってしまう。健康で視力もいい安食さんだが、年を取るとそういった細かい作業でどうにもならない部分があったという。だからこそ、「若いうちに思いきりやってほしい」と安食さんは話す。若いうちは感性も豊かで、身体も思うがままに動く。しかし、それは永遠じゃない。悔いが残らないようにやりきってほしいのだと安食さんは言葉に力を込めるのだ。だからなのかもしれない。安食さんは信じられない家賃で若き作家たちにこの場所を貸し出している。

「日本に京都があってよかったと言われるように、“京都にあじき路地があってよかった”と言われたい。」安食さんはかつて、そう話したことがあると言う。「残したい」というのは簡単だが、実際に残すのは難しい。だからこそ、こう問いかけるのだ。「自分に必要な物を我慢してまで、自分が住むわけではない家にすべてのお金を使えますか?」と。

築100年をこえるこの家は、維持費が高額になる。ほとんどの長屋はそれを理由に手放されていくが、安食さんは私財を投げ打って、ひとりでこの家を守り続けている。いや、ひとりではないのかもしれない。この家には、たくさんの若き作家たちが住んでいる。あじき路地で育って卒業していった作家たちも含めて、みんなでこの路地を守っているのだ。安食さんは、そんな「あじき路地」の姿を見てほしいと言う。

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