チキン南蛮のルーツとは

さて、あなたは「好きな食べ物は?」と聞かれたら何と答えるだろうか。

ぼくは迷うことなく「チキン南蛮」と答える。日本中どこに行っても、お店のメニューを開いたときに「チキン南蛮」があれば必ず注文する。たとえアッサリしたものが食べたい気分であったとしてもだ。もはや自分に課したルールと言ってもいい。

関東を中心に考えると、チキン南蛮専門店というものは極端に少ない。居酒屋のランチメニューにはあるものの、「ランチで出してみたら売上が伸びた」という単にサラリーマンの油需要を満たしたにすぎない作品がほとんど。基本的に愛が足りない。

ふつうの唐揚げじゃん、と言いたくなる悲劇的なものから、ジューシーな鶏ムネ一枚肉を使うところまでは賛同するのだが、タルタルソースに色気が足りず、あふれ出る肉汁を受け止めきれていない残念なものまで、失敗例を挙げればキリがないのだ。

そんなエラそうなことを言いながら、ぼくは宮崎でチキン南蛮を食べたことがなかった。正確に言えば、宮崎空港で食べたことはあるのだが、「これが本場の味?」と感動しそこねたまま終わっていた。宮崎はチキン南蛮発祥の地であり聖地である。死ぬまでに巡礼しておかなければ、死ぬ前に「南蛮……」とつぶやきかねない。その夢を叶えるときが来たのである。

そして、発祥地と言われる宮崎の中でも、チキン南蛮の元祖といえば「おぐら」である。

第一印象はデカイ!そして、なんといってもタルタルソース!タルタルとは、タルタル人、つまり、タタール人という中央アジアの民族が語源であり、古くは彼らの料理がヨーロッパに伝わったことに由来する。近代になって「タルタル=異国風の」というような意味に変容し、それが日本に伝わったとされている。

チキン南蛮と、あと、カレー。それしか料理ができないぼくだが、あの純白のタルタルソースを作るのにケチャップが必要であると知ったときには驚いたものだ。そして、「おぐら」のタルタルソースもそう。赤みがかったタルタルはどこまでもクリーミーであり、しかも雪崩のごとくたっぷりとチキンを覆っている。さながらチキンステーキのように、ナイフで切って食べるそれは、止まらない肉汁と濃厚なタルタルが複雑に絡みあい妖艶さすら感じさせる。これは文句なしでウマイ。

しかし、元祖はもう一軒ある。延岡にある「直ちゃん」だ。

チキンカツ……いや違う。天ぷらのような……いや違う。湯葉をやさしく揚げたようなくしゃっとした衣……いや違う。目玉焼きのふちのおこげのような衣!これだ!これはまさしく中央アジアからシルクロードを渡ってきた絹のようにやわらかな揚げもよう。こんなチキン南蛮食べたことない!

幸運にもぼくが座っていたカウンター席から、厨房をのぞき見ることができた。目を凝らして料理人の背中を見つめていたところ、ぼくは確かに見たのである。「花を咲かせる」その姿を。

花を咲かせる、とはどういうことか。ぼくは大学時代のアルバイトで1年間、ひたすら天ぷらを揚げ続けるという職務を担っていた。そのとき学んだことなのだが、たとえばエビの天ぷらであれば、エビを「たまご液」につけて、適温の天ぷら油にすべらせるように寝かせる。重要なのは、その後である。

太めの箸をたまご液に浸す。そして、引き抜いた箸でエビをたたくのだ。やさしくノックするようにトン、トン、トン。すると、ジュワ、ジュワ、ジュワワ、と、天ぷらに「花」が咲く。花火のように咲くサクの食感を持つ衣ができあがる瞬間である。

直ちゃんのチキンは、天ぷらに限りなく近い。それを甘酢に浸してチキン南蛮へと昇華させる。そして、タルタルソースではなく、マスタードとゆずこしょう、レモン液でいただく。これがまた、漫画ならぼくの背景に花が咲きそうなほどにウマイのだ。


文:志賀章人

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