正門から、後ろを振り返ってみてほしい。南西に向かって伸びるこの道は、実は「首里城」まで続いている。道のりにして約12km。この道を「ハンタ道」と呼んでいる。「ハンタ」とは、崖っぷちの「淵」という意味である。首里グスクも中城グスクも淵の上に建っているわけだが、この淵はなぜできたのか。次の画像を見てほしい。

佐敷半島から勝連半島にかけて広がる湾のことを「中城湾」というが、この湾にはかつて1000m級の山があった。それがある日、ドカン!と陥没したのだ。そうすると、陥没した穴のまわりに崖ができる=淵ができる。それがこの場所である。その証拠に、崖のある東側では現在も「地滑り」が続いている。崖下に広がる町は地滑りによって生まれた土地なのだ。

ハンタ道はここで終わりではない。かつては中城グスクの中を通り抜け、その先にある「勝連グスク」まで続いていた。当時の勝連グスクは首里王府の支配を受けず、独自の道を歩んでいた。そのため、首里グスクと勝連グスクのあいだに位置する中城グスクは、勝連グスクを牽制するための重要なポイントであったのだ。

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