中城グスクは守りを固めるための城。正門のまわりが凹型になっているが、見上げると「挾間」と呼ばれる鉄砲を打つための穴がある。中城グスクに攻めてきた敵兵たちは、まずここで一網打尽にされるというわけだ。

このことから、ある秘密が導き出される。中城グスクの正門が建築されたのは14世紀。つまり、種子島に鉄砲が伝来する15世紀より前から、琉球には鉄砲が存在したことになる。

とはいえ、当時の鉄砲は人を射抜く力はなかったかもしれない。石の球をこめて、大きな音を出して50mぐらい飛んでいき、ポトンと落ちる。なぜそのような鉄砲が必要かといえば、騎馬兵対策だ。大きな音で馬は驚き、馬の近くに弾が落ちようものならひっくり返る。そんな効果を狙ってのことだろう。

守りやすく攻めづらい中城グスクだが、裏門に比べると、正門の守りはやや手薄になっている。護佐丸の代名詞であるアーチ門ではなく、旧来の「やぐら門」が残されているからだ。それはなぜか。中城グスクを改築したのは王国の忠臣・護佐丸だ。護佐丸にとって勝連グスクと向きあう裏門を強化するのは当然。一方で、正門と向かいあうのは首里グスクである。護佐丸は首里王府と敵対する意思がないことを示すために、あえて正門を強固にすることをためらったのかもしれない。

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