江戸時代の日本に開国を迫ったことで知られるペリーは、その数ヶ月前にこの島に上陸していた。
当時の黒船は石炭で動いていたため、日本での交渉が難航した場合に備えて、石炭の補給基地を探していたのだ。島に上陸したペリーは、鉱物博士を連れて調査をしていたらしく、いくつかのスケッチを残した。
次の画像はそのひとつ。漆喰やセメントを使わずして耐久性を高めた石組みを褒め称えた言葉も残されている。
戦時中、沖縄戦に備えて中城グスクにまつわる資料は東京に移された。しかし、その東京も激しい空襲に遭ったため、資料はすべて焼けてしまった。これが、本当に何も残っていないのだ。
ペリーが残したこのスケッチが、最古にして、最高の資料とされるほどに。