美しい城壁に目を奪われがちだが、足元に注意してほしい。石畳を見て、何か気づかないだろうか。

半分は戦後に修復した石畳。もう半分は、およそ600年前に築かれた当時のままの石畳。無骨に見えるかもしれないが、片方は600年もの月日をかけて磨り減った石畳なのだ。

中城グスクは「王国時代の建物で唯一現存するもの」とされている。これにはいくつかの偶然が重なっている。

第一に、護佐丸が去ったあとも王国の王子が住む邸宅として使われたこと。王国が安定期にはいると、城としての役目は不要になる。多くの城が廃城となったが、中城グスクはそうならなかった。

第二に、王国が薩摩に支配下に置かれたとき、各地のグスクに住んでいた要人は首里に住むことを強制された。中城グスクに住んでいた王子もまた首里に用意された「中城御殿」に住むことになった。が、それと同時に中城グスクには「役所」が置かれることになった。この島のガジュマルの木を見たであろう。10年も放置すれば根っこが城壁の石を蹴散らし、あっという間に崩壊していくものだ。中城グスクは空白期間をおかぬまま使用され続けたことが功を奏したのだ。

第三に、先の大戦で戦場にならなかった。首里グスクは日本軍が基地に使ったため徹底的に破壊された。しかし、中城グスクは地上戦の舞台にはならず、艦砲射撃による破損にとどまった。これにより、実に7割以上の原型を残した。

あちこちが欠けていて復元が遅れているように見えるかもしれないが、そうではない。復元する必要がないのだ。だからこそ「王国時代の建物で唯一現存するもの」になりえたのだ。

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