──そこで尚巴志は自分の息子を今帰仁グスクの長にして、護佐丸を「座喜味グスク」に異動させた。

1422年ごろに護佐丸が築城した座喜味グスク。これは、ほぼ新築のグスクであり、今帰仁グスクに住んでいた期間に研究した城づくりを実践するチャンスであった。プロトタイプともいえるアーチ門は沖縄で最も古いつくりとされ、城塞の形も星型で実に変幻自在である。石積みは、豆腐積みが基本だが、亀甲乱れ積みに至る過程にあると見られる部分も。中城グスクと比較してみるとおもしろいだろう。

護佐丸は座喜味グスクの長としても良い政治をしたため、百姓は安心して農業ができたという。一方で、座喜味グスクの築城には多くの人手が必要になり、与論島や喜界島など、周辺諸島から多くの人を強制的に連行したとする文書もあれば、みんながみんな護佐丸を慕って自ら集まったとする文書もある。

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