──そこで、護佐丸を中城グスクに異動させたのだ。

座喜味から中城に異動するとき、護佐丸は「師匠」とともにやってきた。古くから護佐丸一族の重臣であり、築城に対する知識も豊富。護佐丸の城づくりを補佐する欠かせない人物だったとされている。護佐丸が自害したあとは中城グスクを離れたが、のちに一族の末裔がこの地に戻ってきた。そのときの家が、この中村家だという。

現在の建物は260年前に首里士族の家を移築したとされ、戦前の沖縄の家を知る上で貴重な存在となっている。

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