──最後まで忠義を貫き通した護佐丸。その物語は現代にまで語り継がれている。

三男が生き延びたことで、護佐丸家は途絶えることなく盛り返していった。たとえば、護佐丸の子孫の中には有名な「龍樋」を持ち帰ったとされる人物がいる。龍樋とは龍のかたちをした彫刻物で、首里城の瑞泉門に設置されている。その龍の口からは琉球でいちばんきれいな水が湧き出ると大切にされている。

さらに、このお墓である。護佐丸の自害から実に230年が経ったころ、護佐丸の子孫であり豊見城の長を継いでいた人物が、首里王府から土地をもらって築いた。現存する亀甲墓としては最も古いものだとされている。

そして現在も。護佐丸の子孫とされる人物は数万人いるとされ、それぞれの場所で活躍を続けている。

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