富士吉田は「御師の町」だった。この道の両側には80軒以上の「御師の家」が建ち並び、富士講の人たちを泊めていた。「旧外川家住宅」もそのひとつ。ただし、御師は単なる宿屋のオーナーではなかった。御師とは「神主」であり、富士講の教えを仲立ちする宗教者でもあった。

御師の家の特徴を見ていこう。まず通りに面して石灯籠がある。そこから細長い「タツミチ」を進んでいくと家がある。庭先には坂道の高低差を活かした滝があり、富士講の人たちは身を清めてから御師の家にあがった。そこにはたくさんの人が寝られるスペースがあり、御師たちは信仰にふさわしい料理でもてなしたり、「強力」と呼ばれるシェルパのようなサポート役を手配したりした。家の中に神殿があるのも特徴で、神主である御師が登山前の儀式などをおこなった。

富士山に登れる季節は限られているため、御師たちは2ヶ月で十分な稼ぎを得なければならなかった。シーズン中はたくさんの人を泊めるために大忙しで、シーズンが終わると「檀家まわり」と称して、お札や薬を持ってお抱えの富士講の町に向かい、返礼として農作物などをもらい受けた。もちろん「来年も富士山に来てね」と営業活動も忘れなかったことだろう。

旧外川家住宅は世界遺産のひとつであり、御師の歴史を伝える建物として公開されている。一方で、現役の御師の家も存在する。たとえば、同じ通りにある「上文司家」。その当主は北口本宮冨士浅間神社の宮司も勤めている。

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