富士山には「神さま」だけではなく「仏さま」もいる。そう考えられるようになったのは「末代」というお坊さんの影響が大きい。12世紀のこと。末代は富士山の山頂に「大日如来」という仏さまを祀るお堂を建てた。これをきっかけに、富士山の中にさまざまな仏像が置かれるようになったのだ。

ここ一合目でも「大日如来」を祀るようになったが、神さまのことを忘れたわけではなく、その名も「大日社」と呼ばれていた。まさに神さまと仏さまを一緒にした「神仏習合」である。そんな時代が長く続いたが、明治時代になると「廃仏毀釈」がおこなわれた。これは、神道から仏教を切り離すための政策で、富士山にあった仏像は徹底的に破壊、撤去された。が、それでも現在まで30体(神像を含めると80体)以上の仏像が見つかっているという。

この鈴原神社の社殿は1838年ごろに建てられたものであり、山中に残る最も古い建物のひとつである。

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