早朝から各所を拝みながら登山をはじめると、ちょうどランチタイムに三合目に到着した。そのことから「中食堂」と呼ばれ、休憩のための一大拠点として茶屋が並んでいた。茶屋があったのは山側。見晴らしのいい谷側にはテーブルとイス、屋根を置いたシンプルな休み場が設けられていた。

茶屋はその名の通りお茶を出し、富士講の人たちは御師が用意したお弁当を広げた。その多くは「おにぎり」で、具はフキなどの野菜を煮たものだったとか。富士講の人たちが白装束を着るのは死後の世界に行くには清らかな体でなければならないという考えからだが、食べ物に関してもそう。肉を食べたりすることは「不浄=清らかでない」とされ、魚や野菜を中心とした料理が基本となっていた。

Next Contents

Select language