四合五勺の御座石浅間神社から、五合目館、桂屋、早川館、天地界館、たばこ屋と、たくさんの小屋が並んでいたのだが、ほとんど気づかなかったかもしれない。

かつては「富士山銀座」と呼ばれたほどで、その賑わいはこの先の「佐藤小屋」のあたりまで続いていた。富士山の中腹にさしかかり、これから登山がさらに厳しくなるポイントで、休憩や宿泊をする人が多かったのだろう。小屋どうしの競争も激しかったはずで「ちょっとそこのアンタ、空を見てごらん、暗くなってきたでしょ。こりゃ雨が降るよ。うちに泊まってきな」と、商売上手な小屋主たちが富士講の人たちを引き止めていた様子が想像できる。

このあたりに小屋が集中した理由には規制の問題もある。五合目より上は聖域中の聖域。人工物を建てるなどもってのほかと考えられていた。しかし、江戸時代にはこのような規制もゆるくなり、五合目に18軒あったといわれる小屋が、六合目へ、七合目へ、八合目へと移転していった。

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