ここを直進すると「小御嶽神社」に行くことができる。その場所は「富士スバルライン」の五合目でもあり、登山者で賑わう一大拠点。バス停もあるので麓に降りることもできるはずだ。
──佐藤小屋から小御嶽神社まで1.4km──
ぼくたちの中に富士山信仰は生きている。
たとえば、現代の登山者たちに「どうして富士山に登るのですか?」と聞いてみる。すると、ある人は「還暦の記念に新たな目標を見つけたくて」と言う。還暦とは60歳にして“人は生まれ変わる”とされている節目の年。「では、どうして他の山ではなく富士山なのですか?」と聞いてみる。すると、「ここが天国にいちばん近い場所だから」と答えたという。
日本一の富士山に登ることで何かを変えたい、何かを叶えたい。そんな想いを背負って登る人は今でも多い。「亡くなった方への供養のかわりに」「入院中の家族の回復を祈って」「富士山を登れたらプロポーズしたい」……あるいは、仕事に疲れて会社をやめてその足で東京から歩いてきた人もいた。「自分の人生をきちんと考えたい。富士山を登りながらであれば、ちゃんと考えられる気がする」と、そんなことを話していたという。
では、家族で富士山に登っている人はどうだろう。
ある人は言った。「悩みがある人が多いのかもしれない」と。娘と会話する機会のなかったお父さんが大学生になった娘とふたりで登ったり、大病をきっかけに富士山に登ることで夫婦の絆を見直したり。普段できないことを富士山を通して実現する。なんとなく富士山に登りはじめた人でも、そんな想いが少なからずあるのではないだろうか。
かつて身禄は「信仰するばかりではなく勤勉に働きましょう」と説いた。さらに「早寝早起きをして日々の生活をきちんとしよう。仕事は怠けず真面目にやろう。そうすれば必ず救われる」と言っている。当たり前のことを当たり前にやること。人間としての基本に立ち返ることを説いているのだ。
またある人は言った。「やっぱりそこに行き着くんじゃないかな」と。「生きていると当たり前に傷つく。そこをどう乗り越えるか。富士山に登ることで心身をリセットして、もう一度、頑張ってみようと気持ちを新たにする。みんな、そのくりかえしで生きているのかもしれない」
地元の人は富士山をどう見ているのか聞いてみると。
「地元の高校では麓から五合目までの競歩大会があるんです。女子は四合目まで、男子は五合目まで行って帰ってくる。ふたつのポケットにふたつのおにぎりを入れて。辛いし大変だし競歩大会の季節が来るのが嫌で富士山に登りたいとか思ったこともなかった。でも、大学から地元を離れてみると“富士山ロス”になっちゃって。だから私は帰ってきた。知らずのうちに富士山で四季を感じてたんですね。富士山に山小屋の灯りが見えたときに夏がはじまって、火祭りで賑わうと秋がもうすぐ、初冠雪でもう冬になってくるっていう。これまでは富士山で四季を感じられたのに、東京はデパートの洋服が変わることで四季を感じるようで、なんだか苦しくって。地元を離れてみると、こんなにも自分のそばに富士山がいたんだということがわかるものですね」
年に一度、「富士登山競走」というイベントがある。麓から山頂まで一気に駆け上がるレースだ。1位のタイムは2時間30分。現在まで70回以上の歴史がある。しかし、3.11の東日本大震災が起きたとき、世の中は自粛ムードに染まっていた。富士登山競走もまた実施をすべきか悩んだという。
「大会のエントリーがまさに3月だったのですが、被災した方から事務局に電話があったんです。絶対に自粛しないでください、と。わたしたちはこの富士登山競走に向けて走ってきた。だから、富士山を走ることで3.11を乗り越えていきたい。わたしたちの心を受け止めてほしい、絶対に開催してほしい。そんな電話をいただいて。これはもう自粛せずに絶対にやりましょうと。そのときの心の熱さというか、聴きながら泣けちゃうぐらいで。富士山ってやっぱりすごい」
ぼくたちは富士山にまつわるエピソードをたくさん聞かせてもらったが、その度に思うのだ。富士講という形ではないにせよ「富士山信仰は生きている」と。あなたはどう思うだろうか。