1964年、東京オリンピックにあわせて開通した「富士スバルライン」。この年を境に車で登山する人が増え、麓から登山をする人は激減した。富士講の人たちも御師の家に泊まる必要がなくなり、御師の町もまた役目を終えた。五合目までの神社や山小屋もまた同じ。しかし、こうして時に忘れられた五合目までの吉田口登山道には、富士山信仰の歴史がタイムカプセルのように埋まっている。そのことが少しでも感じられたのではないだろうか。
富士講の人たちは「小御嶽神社」を拝んだあと、さらに頂上を目指した。多くの人たちは八合目あたりで一泊。夜明け前に再出発して頂上でご来光を拝んだ。そして、最終目的である山頂の聖地=噴火口を拝み、周囲をぐるりと一周する「おはちめぐり」をした。そして、新しく生まれ変わった体で麓に帰ってくるのだ。
再び富士山頂を目指すときは、この旅のことを思い出してほしいと思う。