大原は京都市内から北へ約12kmにある山里。都から離れた場所だが、平安京が開かれた西暦794年には人が住んでいたと言われている。
この大原は日本海側にある若狭と、京都を結ぶ若狭街道の道中に存在している。その昔、若狭は韓国と日本をつなぐ交易地で、若狭と京都をつなぐ若狭街道は主要な街道として多くの人々が行き来していた。そのため、大原には昔から様々な人々が訪れていたという。
これらの人々の中には、天台宗の総本山、比叡山延暦寺から降りてきた僧侶も含まれていた。なぜ僧侶が比叡山から降りてきたかというと、大原は天台声明(てんだいしょうみょう:経文などに旋律や抑揚をつけて発する仏教声楽曲)発祥の地であり、阿弥陀信仰の中心地でもあったからだ。
お経を歌のように唱える声明は音楽のように聞こえ、その音色はとても美しい。天台声明は唐から伝えられたが、教えを引き継いだ聖応大師良忍が大原に声明の道場を開いた。その道場で声明の修行を行うために、大原に僧侶が集まったのである。
この大原に、各地を転々としてきた三千院は本拠を構えた。ところで、三千院は歴史上何度も名前を変え、旅人のように転居を重ねてきたことをご存知だろうか? 次は、三千院の改名と転居の歴史を解説していこう。