僧侶をはじめ様々な人々が集まった大原は、仏教の教えのひとつ「阿弥陀信仰」と深い関係があることをご存知だろうか?
阿弥陀信仰とは平安時代に流行った仏教思想で、仏様である阿弥陀如来に自らをお任せして、死後に仏様の国である極楽浄土に向かおうとすること。極楽浄土に住むと迷いのない心安らかな暮らしができるとされ、日頃から「南無阿弥陀仏(阿弥陀如来に私の心身を預けますという意味)」と唱えれば、死後に阿弥陀様が浄土に迎え入れてくれると信じられていた。
気が流行り、飢饉や戦乱で食べ物もろくにない状態。都の大通りや鴨川沿いには病や飢えで亡くなった人々の亡骸が横たわっていたという。
人々はこのような世の中を「末法の世(まっぽうのよ)」と言って嘆いた。末法とはお釈迦様の教えが途切れ人々を導く者が現れない時代を指し、様々な災いが人や社会に降りかかる時期だと恐れられていたのだ。
生きづらい世の中で現世は苦労ばかり、末法の世でせめて死後に救われようと阿弥陀信仰が流行したというわけだ。
三千院の境内にある「往生極楽院」には、人々を浄土に連れて行ってくれる阿弥陀如来が祀られている。今はススで隠されているが、お堂の天井には浄土から死者を迎えに来る仏様の集団が描かれ、それはそれは美しいものだったという。
京都市内に比べて大原は小さな集落だったが、国全体が苦しい時代は大原も無関係ではなかっただろう。往生極楽院は民衆の心の拠り所となったはずだ。