勅使玄関:平安時代から続く、お寺と皇室の意外な関係

三千院の立派な門を通って境内に入ると、目の前に立派な玄関が見える。
これは勅使玄関(ちょくしげんかん)と言って、天皇陛下とその使いである勅使だけが通ることを許された玄関だ。

玄関の屋根に見えるそり曲がった屋根は唐破風(からはふ)と呼ばれる装飾で、高貴な人が訪れる建物にしか使うことを許されなかった。

なぜ山里の寺に勅使玄関が設けられているのか? それは、三千院は門跡(もんぜき)寺院といって皇室と関係の深い寺だからだ。門跡寺院とは天皇陛下のご子息や公家の跡取りなどが住職を務めた寺のことで、住職は「門主(もんす)」と呼ばれている。

三千院と皇室の関わりは平安時代末期にさかのぼり、白河上皇の孫にあたる最雲法親王が梶井門跡(当時の三千院の名称)に入室され、梶井十四世門主となられた。

皇室や公家が多数住んでいた京都では市内にいくつも門跡寺院があり、三千院のほかに仁和寺や大覚寺、妙法院、青蓮院などが有名なお寺だ。これらの寺には勅使玄関や勅使門があり、きっと唐破風の装飾が施されているはず。門跡寺院を訪れた時はその姿を確かめてみよう。

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