「御嶽」とはお祈りをする場所のことである。とはいえ、園比屋武御嶽の石門が御嶽というわけではない。石門の背後には森がある。この、木々に覆われた何もない空間こそが御嶽なのだ。琉球王国時代には、より鬱蒼と森が生い茂っていたといわれ、石門はこちら側とむこう側の「境」をあらわしていた。
石門の扁額には、1519年に石門が建てられた当時の言葉が刻まれている。
「首里の王 おぎやかもいがなし(=尚真王のこと)の御代に たて申候 正徳十四年己卯十月二十八」
日本の「ひらがな」である。しかし、「年号」は中国である。これぞ、琉球の“チャンプルー文化”。古くから日本と中国、両方の文化を取り入れてきた姿が感じられる。
石門の造形は木彫りのように繊細であるが、変幻自在な城壁でも見られるように、琉球の石造りの技術は高い。だがそれ以上に、朽ちることのない石で形造ることで「永遠に残したい」という想いがあったのではないだろうか。
しかし、この石門もまた戦争によって破壊された。
現在の石門はほとんどが新しく造られたものであるが、屋根の右上部分を見てほしい。欠けているのがわかるだろうか。その部分は、戦後の瓦礫の山から見つかった元のパーツで復元された。戦前の姿が残されているのだ。