瑞泉とは「すばらしい泉」という意味である。門の脇を見てほしい。「龍樋」と呼ばれる龍の口から、現在も水が湧き出ている。琉球王国時代から湧き出ていた水が、である。
水質もきれいであったため、国王の飲料水として使われたほか、冊封使が来たときには彼らが宿泊していた那覇港の「天使館」まで届けられた。その量は1日200ℓにもなったという。大量の水を運んだ役人の苦労もしのばれるが、なにより琉球の「おもてなしの心」があらわれているようではないだろうか。
あたり一帯にある石碑は、冊封使が龍樋を讃えた言葉。たとえば、「中山第一」は「琉球でいちばん美味しい水」という意味。「飛泉漱玉」は、水が勢いよく出て水滴が飛び散っている様子。つまり「イキがいい水だ」というような意味だろう。
龍樋にはこんな逸話も残されている。
およそ500年前。とある琉球商人が貿易のために訪れていた中国で龍樋を拾った。しかし、中国の物を勝手に持ち帰ることは許されない。そこで商人は考えた。そうだ、龍樋をロープで縛って船の底からぶら下げよう。もちろん積荷のチェックをかわすためである。こうして琉球に持ち帰られた龍樋は、やがて不思議な力があると見初められ、瑞泉門に設置されることになった。が、首里城を訪れる冊封使に見つかっては面倒なことになる。そこで、冊封使が来るたびに龍樋を取り外していたというのだ。
この龍樋は500年前からここにある。果たして真実は龍樋のみぞ知ることだろう。
龍樋も戦火にのまれたが、鼻と唇のあたりが欠けていたぐらいで、なんとか原型をとどめていた。しかし、戦後のどさくさで龍樋の位置が変わっており、肝心の湧き水がほとんど出ない状態になっていた。
龍樋をもとの位置に戻すための調査をすると、近くにぽっかりと空いた穴が見つかった。大人が這って進めるぐらいの大きな穴は、驚くべきことに30mほど奥まで続いていた。壁面には手彫りのノミの跡があり、琉球王国時代の人たちが水源を求めて掘り進めた姿が想像できたという。それだけではない。穴の奥ではきれいな水がこんこんと湧き出していたのだ。そこには水路を瓦で固めた跡もあり、一部が水の侵食によって破損していた。それらを修復してみると見事に湧き水が復活したのだった。
この調査を担当した人物は最後にこう述べていた。
「龍樋もオリジナルであるが、湧き水もまたオリジナルである」と。