「漏刻」とは水時計のこと。琉球王国時代は、門の上にある櫓(やぐら)の中に水時計があった。
水時計とは、水を溜めた箱に小さな穴をあけて、そこから一定量の水が流れ出ることを利用して時間を計る装置のこと。水時計の様子は下級役人によって見守られ、時が来ると時報がわりの太鼓を叩く。すると、首里城のまわりにあるお寺も呼応して一斉に鐘が鳴り響いたという。当時はそうして時刻を知らせていたのだ。
琉球王国で最も偉大な政治家とされる「蔡温」は、水時計だけでは不正確であると「日時計」を併用した。しかも、雑用のように思われていた「時間を計る仕事」を上級の役人にあたらせた。
蔡温の目的は、単に時間を正確に計ることではなかった。当時の琉球は、多少の時間のズレがあっても気にしない“ウチナータイム”。しかし、時間のゆるみは、国家のゆるみ。時間を大切にするよう民を導くこと、時を司ることもまた国家の威厳を示す大切な仕事であると考えたのだ。
当時の日時計は「日影台」として、漏刻門をくぐった先の広場で再現されている。