京の内とは「きやのうち」。きや=霊力が満ちている場所という意味だ。琉球王国時代の京の内は深い森に覆われていて、国王や神女たちによって、王家繁栄、航海安全、五穀豊穣などを祈る儀式がおこなわれていた。
首里城の中でも京の内で見つかる遺構は最も古い。現在でも首里城の敷地の半分近くを京の内が占めているが、初期の首里城は京の内の範囲であったと考えられている。
首里城は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されているが、一説によるとグスクとは神様が宿る「御宿(ぐしゅく)」のこと。王城でありながら神殿であり、信仰の場であることが日本や中国の「城」との違い。京の内はまさに琉球独自の姿を体現する場所なのだ。
なぜ、この位置にPINを置いたのか。実は、この洞穴には謎がある。
約450年続いた琉球王国の歴史は「第一尚氏」の50年と「第二尚氏」の400年に分けられる。そのあいだにクーデターが起きたのだ。クーデターは成功した。しかし、新しい国王も「尚」という名前を継いだ。
おそらくは中国の顔色をうかがってのことだろう。中国が任命した国王に反乱を起こしたとなると印象が悪い。だから穏便に後を継いだことにしたかったのだ。第二尚氏の初代・尚円王は、第一尚氏の最後の王・尚徳より明らかに年上なのだが、対外的には「尚徳の息子」ということになっている。
話を戻そう。第一尚氏にクーデターが起きたとき、当時の国王・尚徳は久高島にいた。最後は兵に追い詰められたとも、自ら海に身を投げたとも伝えられている。が、王妃や王子は首里城にいた。彼らは洞穴に隠れていた。「なんとしても、世継ぎとなる王子だけでも守らねば」しかし。そんな王妃の想いも虚しく、遂には見つかって殺されたという。
彼らが逃げ込んだ場所がここであるとする証拠はない。しかし、もしもそうだとしたら。この洞穴には濃密なドラマが隠されていることになる。
クーデターについて詳しくは「中城城跡」のガイドも見てほしい。