「神」とは誰のことなのか。「国王」である。奉神門の先は、神として崇められていた国王がいる場所だった。

現在は中央の扉が開いている。が、琉球王国時代は閉じられていた。冊封使を迎えるときにだけ開かれる扉であり、どんなに上級の役人であっても両脇の小さな扉から出入りしていたという。

この先には「御庭」と呼ばれる広場がある。その先には首里城のメインである「正殿」が。正殿の裏には、国王のプライベート空間である「御内原」が広がっている。つまり、首里城は正殿を境にして表と裏にわかれていた。表側は男社会で政治の場所。裏側は女社会で生活の場所。ちなみに、正殿の1階は表世界で、2階は裏世界だ。

これより先は入場料が必要となるが、ぜひ旅を続けてほしい。

これまでは「琉球王国の450年」のうちの約半分。前半の物語を中心に紹介してきた。

琉球王国はそのはじまりからして大国の力を借りてきた。そして、うまく利用してきた。たとえば、中国の臣下であることを認める冊封関係を結び、中国式の礼を尽くして冊封使をもてなした。そのかわりに中国の影響力を利用して貿易で莫大な利益をあげてきた。

この歴史は日本と対照的かもしれない。「日本は日出づる国、中国は日沈む国」と返答した7世紀から、基本的に中国の配下になることを断ってきた節がある。あるいは、日本も中国と冊封関係を結んだことはあったが、長続きしなかった。琉球はそれを450年も続けたのだ。

これは偏に「小さな島国の宿命」と言えるのかもしれない。大国と真正面からぶつかっても歯が立たない。それを理解していたからこそ、琉球は外交の能力を磨き、事を荒立てないよう平和を大切にしてきた。しかし、17世紀以降、薩摩に攻め込まれたことで状況は複雑になる。日本と中国は対立していたため、琉球は喧嘩をしているふたりの間に挟まれたような格好になってしまったのだ。

ここから先は、薩摩侵攻後の物語を中心に紹介しよう。

Next Contents

Select language