首里城のメインである正殿。その二階内部にあたるのが大庫理である。王族による王族のための儀式がおこなわれた場所で、どちらかといえばプライベート空間。ただし、冊封使が招かれたこともあったと考えられる。

というのも、中央に国王の玉座がある。たくさんの龍に囲まれているのは、龍が国王の威厳を示すシンボルだから。ただし、この部屋にある龍の中に琉球国王のものではない龍がいるのである。

3つの扁額を見てほしい。これは中国皇帝直筆の書。つまり、扁額に描かれている龍は、中国皇帝の威厳を示す龍である。その爪の本数を数えてみてほしい。扁額に描かれた中国皇帝の龍の爪は5本ある。そのほかの琉球国王の龍は、5本から1本引いた4本になっている。中国の臣下として、一歩下がった礼節をあらわしているといえよう。

これらの扁額は新しい国王が就任したときにお祝いとしてもらったもの。「中山世土(ちゅうざんせいど)」は、琉球は中山が代々おさめる国であるという意味。「輯瑞球陽(しゅうずいきゅうよう)」は、琉球が幸せであることを願っている。「永祚瀛壖(えいそえいぜん)」は、中国皇帝から見て「海の向こうにある琉球を永く幸せにおさめなさい」という意味(戦前は9枚の扁額があったが3枚のみ復元されている)である。

これらの扁額を見上げていると、「過去にいただいた扁額を大切に飾っていますよ」と言いながら冊封使をもてなしている国王の姿が目に浮かぶようではないだろうか。

ちなみに、窓際にも国王が座る椅子がある。これこそが唐玻豊の間。御庭でおこなわれる元旦の式典の際には国王はここから顔を出して、お祝いをする臣下に応えていた。

日本に開国を迫ったことで知られるアメリカ人のペリー。彼は、日本を訪れる前に琉球を訪れていた。

が、薩摩の支配下になってからの琉球は中国以外の国とは鎖国体制にあった。アメリカ人であるペリーは望まれざる客であり、上陸させるわけにはいかなかった。

「琉球は資源もなにもない小国ですのでどうかお引き取りください」とやんわり追い払おうとするも、「いいから国王に会わせろ」と迫るペリー。会ったが最後、めんどうなことになるのは目に見えている。官僚たちは頭を悩ませた。「王母が病気で大変なんです」「国王はまだ年若く話せる状態ではありません」と、のらりくらりと回答を先延ばしに。あげくは架空の役職まで作り上げて「上の者に確認します」のたらい回しにした。

しびれをきらしたペリーは無理やり首里城に押しかけてきた。守礼門を中央突破して、歓会門を通り、御庭へ侵入。しかし、なんとしても正殿に入れるわけにはいかない。なんとか足止めをして、国王に会わせないまま、北殿で形ばかりのもてなしをして帰ってもらったのであった。

万が一の事態に備えていたであろう国王は、正殿から北殿の様子を盗み見ていたこともあったかもしれない。

Next Contents

Select language