正殿の一階にあたる下庫理。二階の大庫理とは違って公の場であり、国王が政治を執りおこなう場所だった。つまり、官僚たちの報告を受けたり、新たな命令を下したりしていた、まさに政治の中枢にあたるといえよう。
中央には国王が座る「御差床」がある。国王は背後にのぞく階段から降りてきて御差床に座るわけだが、まるで天から降りてくるような演出が感じられたのではないだろうか。ここから見ることはできないのだが、御差床の天井は格式ある造りになっているほか、まわりのしつらえも国王の威厳を示すようなつくりになっている。
次の写真で、その一端を感じてみてほしい。
──そして、19世紀。琉球は「沖縄県」として併合される。約450年続いた王国も終焉を迎えた。
この時代について、もう少し詳しく見ていこう。
「ペリー来航」によって外国の脅威を目の当たりにした日本は近代化に向けて舵をきる。時代遅れの江戸幕府を倒して、明治維新を起こすのだ。このとき、中心的な役割を果たしたのは薩摩。琉球を200年に渡って支配してきた薩摩は海外情勢をよく知っていたから主導権を握れたというところもあるだろう。
明治維新の革命のひとつ廃藩置県。その中で、琉球は「琉球藩」にあらためられる。あえて県ではなく藩にである。琉球は管轄が薩摩から日本政府に変わるだけと考えた。しかし、その認識は甘かったのか、最終的には「沖縄県」に。
中国との冊封関係は完全に打ち切られ、国王は東京に移住させられた。こうして、国王と国土を分断したのち、役人達もまた首里城から追い出された。このとき、中国に助けを求めた役人たちもいたが、ほどなく日清戦争に敗れた中国は沖縄から完全に身を引いた。こうして、琉球王国の歴史は終焉をむかえたのであった。