首里森御嶽は、首里城発祥の地といわれている。琉球の神話にこんな話がある。
──神々が住まう場所「ニライカナイ」から、島づくりの命を受けた「アマミキヨ 」という神様が降り立った。アマミキヨは島をつくるにあたり、土、石、草、木、をもたらした。そして、7つの森を作って御嶽とした。その7つ目の御嶽が首里森御嶽。いわば最後に首里に辿り着いたときに島づくりは完成したのだ──
実際、首里城ができるより遥か昔から首里森御嶽は存在していた。むしろ、ここに首里森御嶽があったから、その霊力にあやかり、御嶽を取り囲むようにして築かれたのが首里城であると考えられる。
背後には「京の内」と呼ばれる森がある。首里森御嶽もその広大な森の一部であったはずだ。しかし、首里城が琉球の拠点となり、発展するにつれて土地を広げる必要に迫られた。それでも首里森御嶽を取り壊したり、移動させたりするわけにはいかなかった。だからこそ、現在のような光景が残されているのだ。
──島づくりを終えたアマミキヨは一組の男女を住まわせた。すると、三男二女が生まれ、長男は国王に。次男は按司に。三男は百姓に。長女は聞得大君に。次女はノロに。それぞれの始祖になったという──。
これは、琉球王国の構成要素であり、政治のシステムでもある。実際、男は国王を頂点にして、各地方をまとめるリーダーである按司たち、さらにその下で働く百姓たちにわかれていた。また、国王の姉や妹が最高神女・聞得大君となり、各地方の祈りを司るノロたちをまとめていた。
このような政教一致の国家を築き上げるために、王国は神話を必要としたのかもしれない。神話とは王の権威づけのため、王が王たる理由をあきらかにするもの。そして、日本の天皇が自らのルーツをアマテラスであるとして伊勢神宮を持っていたように、琉球国王もまた自らのルーツをアマミキヨであるとして斎場御嶽を持っていた。