琉球王国時代、この地域には「久米村=クニンダ」という集落があった。この場所では、久米村の歴史について詳しく触れることができる。
たとえば、琉球王国が明(当時の中国)と結んだ「冊封関係」とは何か。簡単にいえば「中国の臣下になった」ということ。琉球の国王は対外的には中国からの任命を受ける必要がうまれたが、そのかわりに、鉄器や陶磁器、最新鋭の船などの文明の利器がもたらされた。ちなみに「臣下」といっても形だけ。主権を奪われることもなかったため、冊封関係は琉球王国にとって「おいしい話」でしかなかった。
それだけではない。中国が持つ貿易ネットワークを託されることになり、東南アジア各国との貿易もスムーズに進められるようになった。琉球王国はその特権を活かして朝鮮にも船を運び、そこに日本との交易も加えることで莫大な利益を生み出していった。
冊封関係が結ばれたのは14世紀。中国との交易は民間レベルでは古くからあったものの、国家間の貿易としてはこのときからはじまった。