福州園は、中国・福建省にある福州との交友の証として1992年に作られた中国式庭園である。

福建省といえば、シルクロード時代から世界に名を馳せた貿易港。マルコポーロの東方見聞録には、アレキサンドリア港の何倍も栄える世界最大級の港であること、その造船技術や航海術のレベルの高さが記されている。

琉球が中国と「冊封関係」を結び、貿易国家として栄えはじめたばかりのころ。福建省にある福州から「久米三十六姓」と呼ばれる中国人がやってきた。というのも、そのころの中国は民間人の貿易を規制していた。だからこそ、貿易を独占することができ、急成長していた琉球とは対照的に、「商売あがったり」となった福州人は移住先を探していたのだ。そして、このあたりにあった「久米村」で暮らしながら、貿易文書の書き方、航海術、外国語などを琉球人に教えた。いわば、成長期にあった琉球王国の貿易は百戦錬磨の福州人によって支えられていたわけである。

その後も福州に帰ることなく、この島の人たちと同化していった久米三十六姓。その子孫とされる人たちは現在2万人を超えるともいわれている。

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