いかにも海の上に浮かんでいそうな大石だと思わないだろうか。下の部分が波で削られているのは、このあたりが海岸であった証拠である。そう。この大石は、沖縄本島の先端に位置していた。つまり、どういうことかわかるだろうか。この場所は、かつての那覇の対岸に広がる陸だった。実は、これまであなたが歩いてきたエリアこそが「浮島」だったのだ。

琉球王国がはじまったころ、久米村や東町、西町といった旧那覇エリアは海に囲まれた「出島」であった。出島とは、日本が長崎に築いた貿易の窓口であるが、旧那覇もまた同じ。外国から来た人たちの移動を制限して管理するのに都合がいい浮島であったのだ。

那覇が浮島であったことは、このあたりのことを指す「泉崎」という地名でも感じられる。当初は浮島にある那覇港に積荷を降ろし、小舟で本島まで貿易品を運んでいた。それが時代が進むに連れて、橋がかけられ、埋め立てが進み、現在では浮島であることに気づかないほど簡単に行き来できるようになっている。

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