『涌浦涌浦と家なら七つ 島に湯が出にゃ誰行こや』この唄には続きがある──

湯元に温泉が湧き出したものの、そこは海の中。まだまだ不便であり、地元の人にしか知られていない温泉だった。様子が変わりはじめるのは16世紀。時の有力者であった畠山家が湯元を石で囲んで補強した。17世紀になると、前田家の当主がこの湯を取り寄せて腫れ物を治療した。そのことが話題となり「涌浦」の名が広まりはじめる。さらに前田家は、湯元のまわりを土で埋め立てて「湯島」を築かせた。島には小屋も建てられて、船で渡りさえすれば、その場で入浴できるようになった。このとき、もともと和倉に住んでいた七人が温泉の権利者となったという。

『涌浦涌浦と家なら七つ 島に湯が出にゃ誰行こや』

石碑に刻まれているのは和倉に伝わる里唄で、「わくらわくらと皆の間で評判だが、家が七軒しかないような田舎村、温泉がなければ誰がいくもんか」というような意味である。しかも、この唄には続きがある。

『なんて小邪魔な たたきつぶせ』

なんとも穏やかでない話だが、そんな「やっかみ」を唄われるほど和倉温泉は繁盛していくことになる。

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