古くから和倉でまつられてきた「薬師様」とは──

海の中に湧いていた温泉を整備して、湯を汲みとれるようにするには大変な土木工事が必要だった。なにしろ90℃の熱湯が絶えず噴き出しているのだ。

こんな逸話が残されている。当時、湯の谷でまつられていた祠の中には石の御神体・薬師像があった。この薬師様をうつ伏せにするとピタリと湯がおさまる。そのあいだに工事を進めて、工事が終わるとうつ伏せにしていた薬師様をもとに戻す。すると湯はもとどおりに湧き出したというのだ。

こうした整備が終わって一段落したころ、涌浦という地名も和倉にあらためられる。「和をもって倉となす=町の発展のためにみんなで一致団結しよう」と言えばおさまりがよいが、地名の由来にはもうひとつの説がある。和とは荒の反対語で「おだやか」であること、倉は湯などを「蓄える」ことを意味する。荒々しく吹き出していた温泉が、薬師様のもと土木工事によって落ち着いて、おだやかに湯を蓄えるようになった。そのことから和倉という字が与えられたのではないかという説もある。

17世紀も中頃、涌浦が和倉になるころには温泉宿を営業する人もあらわれ、和倉は温泉街として賑わいはじめる。しかし、それは200年におよぶ「湯番徒」との管理権をめぐる争いのはじまりでもあった。

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