戦前までの旅館は高くても「木造三階建て」だった──

明治時代のはじめは、温泉の出る井戸から竹竿の先につけた桶で湯を汲み上げ、それを手桶に移し替えて人力で担いで各旅館に運んでいた。それがやがて各旅館に専用の井戸が掘られ、鉄のポンプが汲み上げに使われるようになる。しかし、湯が熱すぎて汲みたての湯には入れない。そこで、ふたつの浴槽を交互に使う光景が見られたそうな。

まもなく鉄道が和倉温泉まで開通すると、そこからは増え続ける客との戦いであった。新しい源泉を掘って湯量を増やし、ポンプはますます高性能に、旅館もどんどん大きくなっていく。それでも土地が足りなくなり、埋め立てを進めて旅館の数も増えていく。とはいえ、この時代の旅館は高くても木造三階建て。ちょうど渡月橋から見える「渡月庵」のような温泉宿がたくさん並んでいたという。

このころ、こんな悲劇もあったようだ。

和倉の場合、ほかの温泉地のように数千mも掘る必要はない。だいたい100mほど掘れば湯が出るという。そこで当時は手掘りの道具を使っていたが、あるとき30mほど掘り進んだところで、ピューっと温泉が噴き出した。それがあまりに突然だったので、温泉を掘っていた男の股間に熱湯が直撃。大火傷を負ってしまったという。

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