そして、最高のおもてなしへ──

やがて戦争が終わり、世の中が落ち着きはじめると、和倉では再び増築ブームが巻き起こる。日本の高度経済成長にあわせて旅館は鉄筋コンクリート化、高層化していく。現在の光景が形作られたのはこのころだ。

一時は年間150万人が訪れるほど賑わった和倉温泉であったが、バブル崩壊、不景気がはじまると廃業する旅館も出てきた。一方で、多くの旅館が現在もまばゆい輝きを放っている。これは比喩ではない。実際に夕方から夜にかけて和倉に車を走らせると、七尾湾に広がる和倉温泉の一画だけが、ひときわ明るく輝いて見えるのだ。その光の先にあるのは「最高のおもてなし」。和倉温泉はこれほど不便な土地にありながらも、日本有数の温泉地であり続けている。その理由はトップレベルのおもてなしによるところが大きいだろう。

それはすでにあなたが体感しているところであるはずだが、どうして和倉の人はこうも「おもてなし」が上手なのか。ある旅館の女将さんは話していた。「和倉の子どもたちは必ず「華道・茶道・日本舞踊」を習ったものだ、と。温泉街としての長い歴史からだけじゃない。おもてなしの心は、そうしたところからも育てられているのかもしれない。あなたもぜひその秘密を探ってみてほしい。

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