神社の「社」の語源は「杜」であるともいわれ、神社を取り囲む森のことを「鎮守の杜」という。第一鳥居があるこの場所は、まさに森の入口のようだと思わないだろうか。

鳥居の前に「榊」の木がかけられている。

榊とは、境の木。この先が神聖な場所であることをあらわすものである。いつ来ても若々しい榊がかけられているが、それは月に三度ほど新しい榊に取り替えられているから。榊がある場所をよく見てほしい。柱にこすれたような跡がある。これは過去にかけられていた榊が風にゆられた跡なのだろう。伊勢神宮はその敷地の中に榊畑も持っていて、年間2万本もの榊を育てているという。

では、鳥居をくぐる前に「一礼」を。参道の真ん中は歩かずに、外宮の場合は左側通行を心がけてほしい。

参道を歩いていると「ざくざくざく」と玉砂利を踏む音が鳴る。しかし、鳥居の近くで耳を澄ませてみると。「ざくざくざ」と、まわりの人の足音がぴたりと停止する瞬間がある。誰もが鳥居の前で「おじぎ」をするからだ。
伊勢神宮では五感を研ぎ澄ませてみてほしい。

第一鳥居、第二鳥居を抜けて外宮の奥へと進んでいくと、次第に「森のにおい」は濃くなっていく。都会の公園とはあまりに違う濃度に「懐かしさ」を覚えるかもしれない。あるいは、ときに木漏れ日が神々しく道を輝かせていることもあるだろう。そのとき、「木漏れ日」という日本語の美しさにあらためて気づくかもしれない。

たとえば、ぼくはこんな体験をした。

外宮の参道から少し離れたところに「度会国御神社(わたらいくにみじんじゃ)」がある。そこは昼間でも訪れる人がほとんどいない。森の中にポツンと佇む社殿の前で、ひとり目を閉じて手をあわせる。そして、目を開いたときのこと。太陽が雲間から顔を出し、その光は森の隙間を抜けて社殿だけを照らしはじめた。その光のボリュームに呼応したのだろうか。セミの鳴き声もまた波のように押し寄せてきたのであった。

あなたにはあなたの五感があるはずだ。伊勢神宮という森のオーケストラを全身で感じてみてほしい。

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