忌火屋殿(いみびやでん)は、天照大御神のお食事を用意するための台所。

毎日、決まった時間に忌火屋殿の屋根の隙間から白い煙が立ちのぼる。神職の人たちは日別朝夕大御饌祭のために、この忌火屋殿で火を起こす。それもヒノキの板──ヒノキとは火の木であるという説も──とヤマビワの木を擦りあわせ、その摩擦熱で発火させるという。この聖なる火のことを「忌火」と呼び、忌火をかまどに焚べてお米を蒸すなど、さまざまな料理を調えていく。すべての料理がそろうと、忌火屋殿の前にある「祓所」でお清めをして、正宮の裏手にある「御饌殿」に運びこむ。こうして日々の食事が天照大御神に捧げられ、「国安かれ、民安かれ」という祈りが届けられるのである。

ちなみに、お供えした料理はどうなるのか。あとで神職の人たちが有り難くいただくのだという。

伊勢神宮の儀式は1500年前からほとんど何も変わっていない。しかし、何ひとつ変わっていないかといえばそうでもない。変わっている部分もある。では、絶対に変えてはいけないこととの境目は何なのか。

たとえば、忌火屋殿では現在も木を擦りあわせて火をつける。なぜ、ライターやマッチを使わないのだろうか。

伊勢神宮としては古式を守ること、形を守ることこそが心を守ることにつながるとの想いがあり、それ以上の意味合いはお答えしていないという。だから、ここから先はあくまで想像のとっかかりにすぎないのだが、人類最初の火とは何だったであろうか。雷が森に落ちたときか、太陽熱で乾燥した木が燃えたときか、いずれにせよ自然発火によるものだったのだろう。そのとき、人類は火を畏れながらも、どうすれば火を生み出せるのかを考えた。そして、最初に発明したのが「木と木を擦りあわせる」という方法だった。道具も何もない時代のことである。

日別朝夕大御饌祭は1日たりとも絶やしてはいけないもの。水と同じように火もまた決して絶やしてはいけない。ライターやマッチがこの世から失われてしまったとしても、人類に残された最後の手段として残るのが、木を擦りあわせることかもしれない。ひいてはこの儀式こそが、日本人を救うことになるかもしれないのだ。

火の原点を日別朝夕大御饌祭で受け継いできた意味とは何なのか。あなたも想像してみてほしい。

Next Contents

Select language