美しい曲線を描く城壁。その理由は城壁に近づいた敵を囲みやすくするため。ランダムに石を積み上げた城壁は武器にもなる。城壁の上に立ち、足元にある石を投げていたのではないかという人もいる。13世紀、そんな原始的な戦争がおこなわれていた時代に今帰仁城は築かれたのだ──
『聞こえ今帰仁 百曲り積み上げて 珈玻羅寄せ御ぐすくげらへ 鳴響む今帰仁』
──噂に名高い今帰仁は 城壁を変幻自在に積み上げて 富が集まるグスクを完成させた なんと立派なことよ──
沖縄の世界遺産の城といえば、ほかに、首里城、中城城、座喜味城、勝連城がある。しかし、今帰仁城に使われている石はそのどれとも違う。ほかの城は総じて30万〜50万年前に形成された石灰岩なのに対して、今帰仁城は約2億3000万年前に形成された石灰岩。地殻変動によって隆起したもので、本部半島の一部などでしか見られない特殊な岩盤であるという。
とにかく、その年月の違いは石の凝縮度にあらわれていて、今帰仁の石は硬すぎて当時の技術では切ることができなかった。そのことが石の形や積み方に見てとれる。逆にいえば、城壁をつくるのは大変だが、完成すればその硬さゆえに頑丈。敵に攻略されにくい。そもそもが今帰仁でしか採れない石を使っているため、ほかの城が真似をしようにも真似できない城だったといえよう。
では、なぜこの場所に城を築いたのか。一般に、沖縄の城づくりには3つの条件が必要とされる。1つめの条件はやはり「石」である。石が現地調達できる場所でなければ城は建てられない。
2つめは「地形」。ほとんどの城は戦国時代に築かれているが、外敵から守るため地の利をいかした立地が求められた。今帰仁城は小高い山の頂上にあり、密林に囲まれている。敵としては、川沿いから攻めようにも切り立った崖に阻まれる地形となる。
3つめは「御嶽」。沖縄の城=グスクとは祈りの場でもある。古くから山のてっぺんには拝む場所があることが多かった。城を建設するには多くの労働力を必要とするが、御嶽があることでその労働力を確保することができたとも考えられる。城を築こうとする権力者にしてみれば「神様の神殿を築くので、金があるものは金を、農産物なら農産物を。それもなければ労働力を。労働力を提供してくれるならば、食べるものは面倒をみよう」と言うことで、労働力を集めやすかった側面もあったのかもしれない。