これぞ、と言える「仁淀ブルー」ではないだろうか。
では、「仁淀川はなぜ青いのか?」誰かにそう聞いてみると「仁淀川の水は不純物がなくてきれいだから、光のプリズムでいう青色だけを反射する。だから青く見えるんだよ」というようなことを言われるかもしれない。しかし、そんな理由はつまらない。しかも、省略しすぎておかしな理由になってしまっている。仁淀川が青い理由はひとつじゃない。あなたには「本当の理由」に、そして「自分だけの答え」に辿り着いてほしいと思う。
さて、美しい仁淀ブルーと出会える場所はたくさんあるが、ここが最もゆっくりと仁淀ブルーを堪能できる場所かもしれない。なにせ、この奇跡のような空間が「キャンプ場」でもあるのだから。
ぼくたちは、この場所で仁淀ブルーに囲まれながら「焚き火」をした。直火は禁止なので、焚き火台を用意する必要はあるが、あとはまわりに落ちている木や枝を拾って火を着けるだけ。しかし、焚き火をするなら何かを焼きたい。せっかくなら「藁焼き=カツオのタタキ」を自分でやってみてはどうだろう。
そもそも藁焼きとは、一説によると「食虫毒防止のためカツオの刺身を食すことを禁ずる」と命じられた土佐の人たちが、生のカツオの表面を火であぶって「これで焼き魚じゃき文句はないろう」と言って食べたことに由来するという。表面をあぶっても中身はほとんど「生」だが、土佐の人たちはそれほどカツオの刺身を愛していたというわけだ。
さぁ、まずは焚き火のHow toから紹介しよう。
細い枝から、太めの木まで。白く乾いたもの=折ったときにパキッと軽い音が鳴るものを拾おう。湿っているか微妙なときは指先よりも「くちびる」の方が精密だったりする。ちなみに、雨上がりの日などはあきらめて薪を買うしかない。
小枝をライターであぶっても火は着かない。そこで、焚きつけが必要となる。新聞紙もいいが、スギの葉などの落ち葉をたくさん拾えば充分だ。ちなみにポテトチップスもよく燃える。
落ち葉を中央にこんもりと置いたら、それを取り囲むようにして小枝を立てかけていく。このとき、円錐型になるように組んでいき、準備ができたらいざ着火。落ち葉に着けた火が小枝に燃え広がったら、円錐型をキープするように枝を追加していく。このとき、細い枝から太い枝へと徐々にシフトしていこう。そうすることで小さな火を大きな炎に育てていくのだ。
せっかく高知にいるなら「藁焼き」をしてみたい。そこで、魚屋さんに電話をしてみると「皮付きの鰹の節(この大きさで1500円)」も「藁(サービスしてくれた)」も手に入れることができた。
そして、いざ、焚き火に藁をブっこむ。数秒後、炎が大きくなるのを待ってカツオをあぶる。このとき、皮がついているほうを先に、かつ少し長めにあぶる。しかし、焼きすぎてはいけない。何度か藁を継ぎ足しながら表面がほんのり白く焼けたところで終了。
お店では食べられないくらいブ厚く切って盛り付けたら、高知らしく岩塩を振りかけていただく! 途中でタレをブっかけて味変。さらにいただく! ウマくないわけがない!
火の後始末としては、原則として火を着けた木は完全に燃やし尽くすこと。すべてを灰に帰すことで、自然に還りやすくなる。最後に水をかけて(水蒸気が上がらなくなるまで)周囲の土とまぜあわせて埋めておこう。
仁淀川で人が暮らしはじめたのはいつからだろう。支流では約1万2000年前に人が暮らしていた痕跡が見つかっているとのことだが、彼らもまたぼくたちと同じような焚き火を囲んでいたのかもしれない──
ぼくたちは「藁焼き」というアクティビティに夢中になってしまったが、それは一瞬の話。食後のゆったりとした時間、焚き火を囲むゆるやかな時間もまた最高のアクティビティではないだろうか。
焚き火には、3つの効能があるといわれている。①あたたまる、②料理できる、③灯りになる。そこに、もうひとつ加えるとすれば、④癒される、だ。
とあるコーチによれば、焚き火の炎には「1/fゆらぎ」という自然界のリズムがあるという。それは、川のせせらぎや、波の音、木漏れ日にも含まれている自然界がもつ不規則な「ゆらぎ」。実は、人間の体内にもそれらと同じ「ゆらぎ」があるため、そのリズムがシンクロしてリラックス効果が生まれるそうな。
なるほど、と同時に不思議に思う。人間は火を見ていると心が落ち着く。しかし、ほかの動物は火を見ると逃げる(例外もあるが)。長い歴史において、いかに人間が火と親しんできたか。遺伝子が教えてくれるようではないだろうか。
とにかく、炭が赤いホタルのように光ったり、炎が心を映すようにゆらめいたり、寝ぼけたころに薪がパチパチッとはじけたり。いつまでも見ていられる焚き火である。時間が経つにつれていくぶんか炎が小さくなり、焚き火を囲む人数と炎のサイズがぴったりフィットするころには、ポツポツとふだんは言えないことが言えたりするもの。そんな瞬間はまさに「1/fゆらぎ」を仲間と共有した瞬間であろう。